写真館で遺影用写真を撮ったら妻にうけた

妻に大うけ!写真館で遺影用の写真を撮りました

ずいぶん前の話だが、父親の葬儀で使う写真がなくて困ったことがある。父の写真はたくさんあるので、すぐに良いのが選べるだろうと思ったのだが、妻といっしょにいくらさがしてもしっくりくる写真がみつからなかった。写真としてみればおもしろいものが多く、見ているだけで思い出に浸ることもできたのだが、遺影にするにはどうかと考えるとどうもうまくない。

結局は、旅行かなにかの集合写真に写る父の顔を拡大して遺影とした。妻がこの父の表情が良いといったからだが、拡大したためかぼやけたような遺影になってしまった。表情は良いのに惜しいことだ。誰に文句を言われたわけでもなく、ぼやけた遺影を気にしている参列者もいなかったように思うが、私は気になっていた。

私はまだ寿命を終えるような歳ではない。とはいえ、老年に差し掛かっている。写真を整理しているときに、たわむれにだが、私の遺影にするのに良いものがあるかさがしてみた。やはり遺影になるような写真はなかった。こだわり過ぎているのかもしれないが、私の性分だからしかたない。

私は、写真館でちゃんとした遺影用の写真を撮ることにした。写真館で事情を話すと、少し怪訝な顔をされたように感じたが、気のせいだったようだ。そういうのは、私が最初というわけではないそうだ。遺言書と遺影写真をセットで考えて準備する人も多いらしい。

ありきたりの遺影は嫌なので、私の遺影にはギターも入れる事にした。やっとの思いで手に入れた私の愛器だ。ギターのヘッドが左頬の下に写るようにしてもらった。写真館のかたは、ギターがない方が良いと控えめにいってくれたが、ここは譲れなかった。

出来上がった写真は私のイメージどおりだった。私は、妻へのプレゼントといって遺影用写真を渡したのだが、妻がこれほど笑い転げるとは思っていなかった。プレゼントとしてうれしいものではないし、気が早すぎるとも思うし、いくら好きでもギターを入れるのはおかしいと思うそうだ。

表情は良いが、これはカメラマンが良かったからでしょうともいう。とにかく遺影にギターを入れるのはおかしい、そのセンスを疑うといいながら笑い転げていた。プロのミュージシャンならカッコいいけどね、と娘もいっしょに笑っていた。

遺影用写真は撮りなおすつもりだ。同じ写真館に行って事情を話そうと思う。妻のはなしをすれば、きっと写真館の人も笑ってくれるだろう。妻もいっしょに行くという。ついでに私もということで、妻も自分の遺影用写真を撮るつもりらしい。余計なことだとは思うが、撮りたいというのだからそうさせるつもりだ。