一宮 写真館

あら不思議!履歴書の証明写真を写真館で撮っただけです

書類審査で落とされてばかりです。就職活動がこんなにたいへんだとは思っていませんでした。たしかに、資格は普通自動車の免許だけですし、世に知られたような大学に通っているわけでもないのですが、せめて面接くらいはしてから判断してくれといいたくなります。

友だちの就職先はとっくに決まっていて、なんだか余裕のキャンパスライフです。彼女の就職先は希望どおりのアパレル関係です。彼女に相談してみると、意外なことを指摘されました。履歴書に貼った写真です。街中の証明写真ボックスで撮ったものです。

この写真がよくない、と彼女はいうのです。写真がそんなに影響するわけないだろう、とわたしは思うのですが、そうとも限らないようです。写真で判断しようとする人事担当はいないにしても、無意識に影響されるものだそうです。しかも、けっこう大きく影響するらしいのです。

履歴書の証明写真の影響を調べた実験のはなしは、彼女から聞きました。証明写真以外はすべて同じ条件の履歴書で、その人の能力の判断がどう変わるかを調べた有名な実験のはなしです。結果は驚くべきもので、場合によっては資格や学歴なんかよりも大きく影響してしまいます。証明写真が魅力的だと、その人の能力が高いと思ってしまうということです。しかも、証明写真が魅力的かどうかに影響されていることに、影響されている本人は気づかないのです。

わたしは証明写真を撮り直すことにしました。椅子の高さを最適に調整して、顔が明るくなるように膝には大きな白いハンカチを3枚置いて、背筋を伸ばしてあごを引いて、視線にも気をつけ、軽く微笑んで撮りました。できあがった証明写真を友達に見せると、これでもダメだといいます。彼女がダメだといえばきっとダメなのでしょう。彼女のセンスは信頼できます。

最後の頼みです。結局、写真館で取り直しました。今度は彼女もOKでした。これならいける、といっしょに喜んでくれました。そして、たしかに、これでいけました。今、わたしのところには、2つの就職面接の予定が入っています。希望の業界です。やっぱり創寫舘は名古屋写真館ですよ

履歴書の写真だけでこんなにも違うものかと不思議にも思いますが、現実は現実です。優れたテクノロジーの電化製品でも、デザインに魅力がなければ売れないといいますが、それと同じなのかもしれません。

あの見合い写真は詐欺だったね、と夫は笑います

結婚式後のゴタゴタも終わり、リビングでくつろぐ夫が、「写真写りは、いいほうじゃないよね」といいます。わたしのことです。わたしの昔の写真アルバムをおもしろそうに見ています。たしかにそうで、親しい友達にもよくいわれます。どちらかというと活発で明るいほうですし、顔もまあまあ、かわいらしいほうだと思うのですが、写真に写ったわたしは別人のようで、なにかをにらみつけているような怖い表情になっています。

ですから、見合い写真を用意するのはたいへんでした。見合いといってもフォーマルなものじゃなくて、友達の旦那さんの同僚に、写真を見せて紹介してもらうといった軽いお見合いです。夫を紹介してもらってから、1年ほど付き合ってからの結婚ですから、見合い結婚とはいえないかもしれませんが、わたしたちは見合い結婚だと言い張ることにしています。

友達に撮ってもらった見合い写真は、いつもどおりの怖い顔で、とても使えるものではありませんでした。いろいろと表情をつくって試したのですがどれも同じでした。友達も、うーんとうなるばかりです。で、プロに頼ろうということになりました。友達に付き添ってもらって、写真館を訪ねました。

餅は餅屋といいますがそのとおりで、出来上がった見合い写真は、自分でいうのもなんですが魅力的でした。友達は、実物のわたしに近い写真だといってくれました。写真館のかたも特別に修正したわけではないといっているので、純粋に撮影技術の違いだけなのかもしれません。この写真に夫がひっかかったわけです。

昔の写真アルバムを見る夫が、またいいます。「この写真みせられてたら、会う気にならなかったかもしれない」だそうです。ちょっと複雑な気持ちですが、いいたいことはよくわかります。写真アルバムと見合い写真を交互に見ながら、「これって詐欺?」ともいいます。いたずらっぽくいったからといって、許されるものではありません。反撃してやろうかとも思ったのですが、ネタがないのでやめました。

反撃してけんかにならなくてよかったです。その後、夫は、会ってみてよかったといってくれました。見合い写真のほうが現実のわたしを写してるんだ、ともいってくれました。それにしても、わたしの写真写りの悪さが不思議だと頭をなやましています。わたしだって不思議です。あの写真館のかたにもっとよく聞いておけば良かったと思っています。写真館ではわかっているはずですから。

カメラの前では無表情の娘。笑顔の写真が撮れました

いよいよ娘も小学生。わたしの娘はよく笑います。ひとみしりなので、初めての人の前では固まってしまいますが、そうでなければしょっちゅう笑っています。わざわざ笑わせようとしなくても、いつも自分でおもしろいことをさがしているようで、ほおっておけば彼女の笑い声が聞こえます。

そんな娘には、少し変わったところがあります。少しだけです。いくら笑っているときでも、カメラを向けると無表情になってしまうんです。チーズといってみてもダメで、笑ってといってももちろんダメ。いろいろと笑わせようとするのですが、なにをやってもダメです。なぜなのか、さっぱりわかりません。笑い顔の写真がないわけではないのですが、全部娘に気づかれないようにこっそり撮ったものです。

でも、奇跡は起きました。わたしが奇跡といっているだけで、ちょっと大げさかもしれなのですが。小学校の入学式の帰りです。通りかかった写真館に、なんとなく誘われるものがあって入りました。写真館に行くのは初めてのことでしたが、子どもの入学記念の写真を写真館で撮るというのはごくごく普通のことだと思い、入ってみました。

写真館のかたに小学校入学の記念写真というと、すぐに準備をはじめてくれました。準備をしながら、いろいろと雑談もできたので、娘のちょっと変わったところ、つまり、写真を撮ろうとすると真顔になってしまうこともお話ししました。入学記念の写真なので笑わせる必要はないのですが、笑顔の写真になればうれしいともいってみました。もちろん、無理なのはわたしが一番よく知っているわけで、冗談半分でいっただけです。

でも、写真館のかたは、真面目に受け止めてくれました。親のわたしがずっと出来なかったことが、写真館のかたには出来たんです。娘にとってもはじめての人なので、はじめは人見知りで固まっていた娘が、しばらくするとはしゃぎだしたんです。カメラマンさんと娘の話は途切れません。カメラの前でも娘は笑っていました。ついに娘の笑顔の写真が撮れたんです。わたしにとっては奇跡でした。

カメラマンの腕というのは、いわゆる撮影技術だけではないそうです。雰囲気づくりも大切なことだそうです。この写真館のカメラマンさんの腕はたいしたものでした。

妻に大うけ!写真館で遺影用の写真を撮りました

ずいぶん前の話だが、父親の葬儀で使う写真がなくて困ったことがある。父の写真はたくさんあるので、すぐに良いのが選べるだろうと思ったのだが、妻といっしょにいくらさがしてもしっくりくる写真がみつからなかった。写真としてみればおもしろいものが多く、見ているだけで思い出に浸ることもできたのだが、遺影にするにはどうかと考えるとどうもうまくない。

結局は、旅行かなにかの集合写真に写る父の顔を拡大して遺影とした。妻がこの父の表情が良いといったからだが、拡大したためかぼやけたような遺影になってしまった。表情は良いのに惜しいことだ。誰に文句を言われたわけでもなく、ぼやけた遺影を気にしている参列者もいなかったように思うが、私は気になっていた。

私はまだ寿命を終えるような歳ではない。とはいえ、老年に差し掛かっている。写真を整理しているときに、たわむれにだが、私の遺影にするのに良いものがあるかさがしてみた。やはり遺影になるような写真はなかった。こだわり過ぎているのかもしれないが、私の性分だからしかたない。

私は、写真館でちゃんとした遺影用の写真を撮ることにした。写真館で事情を話すと、少し怪訝な顔をされたように感じたが、気のせいだったようだ。そういうのは、私が最初というわけではないそうだ。遺言書と遺影写真をセットで考えて準備する人も多いらしい。

ありきたりの遺影は嫌なので、私の遺影にはギターも入れる事にした。やっとの思いで手に入れた私の愛器だ。ギターのヘッドが左頬の下に写るようにしてもらった。写真館のかたは、ギターがない方が良いと控えめにいってくれたが、ここは譲れなかった。

出来上がった写真は私のイメージどおりだった。私は、妻へのプレゼントといって遺影用写真を渡したのだが、妻がこれほど笑い転げるとは思っていなかった。プレゼントとしてうれしいものではないし、気が早すぎるとも思うし、いくら好きでもギターを入れるのはおかしいと思うそうだ。

表情は良いが、これはカメラマンが良かったからでしょうともいう。とにかく遺影にギターを入れるのはおかしい、そのセンスを疑うといいながら笑い転げていた。プロのミュージシャンならカッコいいけどね、と娘もいっしょに笑っていた。

遺影用写真は撮りなおすつもりだ。同じ写真館に行って事情を話そうと思う。妻のはなしをすれば、きっと写真館の人も笑ってくれるだろう。妻もいっしょに行くという。ついでに私もということで、妻も自分の遺影用写真を撮るつもりらしい。余計なことだとは思うが、撮りたいというのだからそうさせるつもりだ。

写真撮影は誕生日の家族行事。秘密の写真をみつけました

母とわたしの誕生日は、我が家で最大の家族行事です。ふたりとも同じ誕生日なのです。年末のバタバタの中での年中行事です。一人暮らしの兄も帰ってきます。家族行事というのは、家族写真の撮影です。ただの家族写真ではありません。仮装家族写真です。しかも、写真館でプロのカメラマンさんに撮ってもらいます。

今年のテーマは、『日本の妖怪』だそうで、父が決めました。テーマ決めは父の特権で、この特権は誰にも渡そうとしません。猫娘は祖母にとられて、雪女は母がとったので、わたしは砂かけ婆にしました。少しかわいらしい砂かけ婆に仕上げます。

本格的な仮装ではないのですが、それでも砂かけ婆の準備はたいへんです。今回は、テーマがテーマだけに、写真館で貸してくれる衣装だけではまかなえないので、手作り部分が多くなります。ついでに猫娘の耳も作ってあげました。わたしは、芸術家のたまごです。猫の耳を作るくらいわけありません。

当日、祖父母と兄とわたしで連れ立って写真館に向かいました。父と母は先にいっています。写真館では準備万端ととのっていて、いつもの着替え場所で着替えてすぐ撮影です。写真館の方もいっしょに盛り上げてくれるので、ちょっとしたお祭りのようです。写真館も迷惑ではないのかなと思いきや、毎年楽しみにしていますよ、といってくれます。社交辞令かもしれませんが。

自宅に帰ると誕生日会が始まりました。これもいつもどおりです。近くの叔父さん、叔母さんや従兄弟も遊びに来ました。今年は、いつも少しだけ不思議に思っていたことを母に聞いてみました。写真館に父と母が先に行っている理由です。きっと、はぐらかされるんだろうなと思って聞いたのですが、あっさり答えが返ってきました。

家族写真のアルバムの他に、父母だけの秘密の写真アルバムがあったのです。母がうれしそうに見せてくれました。秘密にしていたというよりも、見せたくて仕方なかったけれどもタイミングがなかっただけなのかもしれません。

秘密の写真アルバムには、毎年1枚づつ父母の写真が入っていました。兄やわたしが生まれる前の写真もあります。結婚する前から始めたらしく、少女のような母とちょっと軽率そうな父のおどけたような写真もありました。